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    熱海温泉の旅館 大月ホテル和風館

    【もう一つの熱海シリーズ】No.5《海光町の石畳》2014年12月4日

     

    熱海駅から国道135号線を湯河原方面に1.5Km程の海側に降りていく

    傾斜地に、花崗岩を敷き詰めた《海光町の石畳》と呼ばれる場所があります。

    ここは今夏、日経新聞の日経プラス1にて「一度は訪れてみたいあの坂」で

    全国の7位に選ばれた場所でもあります。

    戦後この地域を収めたアメリカのGHQが、ぬかるんだ道路に石畳を敷いたとのことで、

    明治以降に開発され、古い建物とすでに取り壊された歴史ある建物の跡地が、点在しています。

    まず始めに見えてきたのは荘厳で素敵な洋館。

    野村塵外荘(のむらじんがいそう)という 昭和14年竣工の野村證券・大和銀行の

    創始者である野村徳七氏の別邸だそうです。

     

    今年のGWに姉妹館ホテルミクラスで展示会をした熱海在住の画家酒井理恵子さんも

    この石畳の坂と洋館の風景を見事に描いていました。

    突き当りを道なりに折れると、また別の趣のある坂がありました。

    振り返ってみたら、セピア色に見えたりして?!

     

    突如海が見えました!!ビーチラインですね。っということは、これらの別荘や保養所からの

    景色はきっと、想像を絶する素晴らしさでしょう。

    その先には、惜櫟荘(せきれきそう)と言われる 岩波書店創始者の岩波茂雄氏の元別荘が

    ありました。別荘を建てるにあたり棟梁が庭にあるクヌギ(櫟)の老木を切り倒したいと

    伝えたところ、岩波氏が『櫟を切り倒すなら私の腕を先に切れ』と言ったのが由来という。

    個人のお宅なので、こちらの撮影はご遠慮いたしましたが、立派で品格のある建物でした。

    また、この地域には《熱海ホテル》という洋館の跡地があり、当時の画像を拝借いたしました。

    atami-hotel

    大正11年(1922)帝国ホテルの副支配人を経て岸衛氏が開業し、終戦間際には海軍の病舎として

    使われ営業を停止。戦後再開されたが、惜しくも昭和52年に解体されたとのこと。

    現在、姉妹館ホテルミクラスの前にある《初代お宮の松》は、熱海ホテルから移されたそうです!

    なんと言う、ロマン。。。

     

    ちなみに、岸氏はその後、熱海市長や衆議院議員も務められ、日本の観光事業に尽力することに

    従事をされた方です。

    現在も熱海梅園の丘の中腹に岸氏の元別荘が残っており、数年前まではその洋館でレストランや

    カフェが開業されており、地元市民のウェディングなども行われておりました。

     

    皆さまも是非、《もう一つの熱海》大正ロマンを感じに、海光町まで足を伸ばしてみませんか?